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ヨーロッパを中心に33か国、パン種671点を集めた市民科学|サワードウの「育て方」はどこまで違うのか
この記事について この記事は、ヨーロッパで行われた「家庭のサワードウ(パン種)の発酵のやり方」を調べた研究を紹介するものです。サワードウやパンについて、病気の予防・治療・健康の改善を示すものではありません。また、医療上の助言でもありません。体調や持病、食事制限について気になることがある場合は、医師・管理栄養士などの専門家にご相談ください。本記事の画像はAIで生成したイメージであり、研究で使用された試料や特定の商品を撮影したものではありません。
台所の片隅で、瓶に入ったパン種を何年も「育て」続けている人がいます。
小麦粉やライ麦粉と水を混ぜ、乳酸菌や酵母が自然に増えたもの。それがサワードウです。使った分だけ新しい粉と水を足し、また発酵させる。日本のぬか床にも少し似た、手間のかかる発酵の営みです。
では、ヨーロッパの家庭では、実際にどんなふうにパン種が育てられているのでしょうか。その「やり方の多様さ」を、一般の人たちの協力を得て大規模に調べた研究が、学術誌『npj Science of Food』(Nature系の査読付き誌)に2026年1月27日付で公開されました。
研究のあらまし
この研究は、EUの研究計画「HealthFerm(ヘルスファーム)」の一部として行われました。HealthFermは、穀物や豆を使った発酵食品について、製法や消費者の受け止め方などを調べる欧州の共同プロジェクトです。
研究を進めたのは、スイス連邦工科大学チューリッヒ校(ETH Zurich)、ブリュッセル自由大学(ベルギー)、ヘルシンキ大学(フィンランド)、ボルツァーノ自由大学(イタリア)、ルーマニア科学アカデミー・ブカレスト生物学研究所などのチームです。
特徴は「市民科学」という方法をとったことです。市民科学とは、研究者だけでなく一般の人がデータ集めや実験に参加する研究のやり方を指します。
- 2024年9月までに、1,091件のサワードウが登録されました
- そのうち591人から671点の試料が研究室に届きました
- 参加登録は33か国(うちヨーロッパ27か国)からありました
- 登録・試料の約3分の2は、研究拠点のある5か国(スイス、フィンランド、ベルギー、イタリア、ルーマニア)とドイツからでした
届いたパン種は各拠点の研究室で酸の量などを測ったうえで、マイナス80℃で冷凍保存されています。将来、菌の種類などを詳しく調べるための「パン種のバイオバンク(試料の保管庫)」になります。
なお、今回の論文はアンケートと家庭での簡単な実験の結果をまとめた報告です。パン種の中の菌の種類は、この論文ではまだ分析されていません。
参加者と一緒に「研究の進め方」を決めた
この研究のもうひとつの特徴は、「共同デザイン」と呼ばれる進め方です。
調査を始める前に、ベルギー、フィンランド、スイスの3か所でワークショップを開き、合わせて70人のパン好きの市民が参加しました。そこで質問票や実験キットの試作品を実際に使ってもらい、意見を集めています。
たとえば、こんな改善がありました。
- 専門用語をわかりやすい言葉に置き換えた
- フィンランドでは、はかりを使わずカップなどの「容量」で量る人が多かった(正確なレシピとはかりを使う人は、ヘルシンキで66%、チューリッヒで85%)。そこで、容量を重さに換算する表を説明書に加えた
- 進み具合を知りたいという声を受けて、多言語のブログを設けた
研究の質問票は90問。資料は英語を含む7つの言語で用意されました。
家庭とパン屋では、パン種の扱い方が違った
回答をもとに、家庭でパンを焼く人(1,019件)と、パン屋など仕事として焼く人(109件)を比べています。
報告された主な違いは次のとおりです。
- パン種の年齢:5年以上のパン種を使っている割合は、パン屋で55%、家庭で28%
- 継ぎ足しの頻度:パン屋では「毎日」が41.3%と多く、家庭では「週1回」が43.7%と多かった
- 発酵の温度:パン屋のほうが高め(23℃と21℃)で、発酵時間は短めだった
- 容器:パン屋ではプラスチック容器が61.5%。家庭はガラス瓶が好まれ、プラスチック容器は9.4%にとどまった
一方で、共通点もありました。使わないときは、どちらもおおむね10℃以下で保管していました。粉は小麦がいちばん多く(パン屋52.3%、家庭53.4%)、次いでライ麦。有機栽培の粉を使う人も多く見られました。
登録されたパン種の多くは、作り始めてから1年未満でした。また、2020年に新しく始めたパン種がとくに多く、コロナ禍でサワードウ作りの人気が高まったことを映していると、著者らは述べています。最も古いと申告されたパン種は、1865年にさかのぼるものでした。
国によって、選ぶ粉に「地域色」があった
国ごとに比べると、材料の選び方にはっきりした傾向が見られました。
- ドイツ・オーストリア・スイス(ドイツ語圏):有機栽培の全粒粉、とくにライ麦やスペルト小麦を好む傾向
- ルーマニア・フィンランド・イタリア:有機ではない小麦のパン種が多い傾向
- ベルギー・デンマーク・スウェーデン・イギリス:数種類の粉を混ぜて使う人が多い傾向
興味深いのはフィンランドです。ライ麦パンが国を代表するパンなのに、参加者は小麦のパン種を好んでいました。著者らは「ライ麦パンは家で焼くより買うことが多いのかもしれない」「伝統的なライ麦パンの作り手が参加しにくかった可能性もある」と、2つの見方を示しています。
ただし、発酵に関する数値をまとめて分析すると、国や粉の種類でははっきり分かれませんでした。むしろ家庭かパン屋かという違いのほうが、くっきり現れたと報告されています。
ライ麦のパン種は、酸が多めだった
粉の種類による違いも調べられています。
ライ麦のパン種は、小麦のパン種と比べて、
- 水の割合が多い(ライ麦は水をよく吸うため)
- 研究室で測った酸の量(滴定酸度)が多い
- それを使って焼いたパンは、密度が高め(ずっしりしている)
という傾向がありました。著者らは、ライ麦に多い食物繊維の一種(アラビノキシラン)や、酵素の働きの違いが関わっている可能性を挙げています。ただし、これは著者らの考察であり、今回の研究で確かめたものではありません。
また参加者は、香りの評価もしました。56種類の香りの言葉から当てはまるものを選ぶ方法です。よく選ばれたのは「発酵した香り」「穀物の香り」「発酵乳(ヨーグルトなど)のような香り」「果物のような香り」「酸っぱい香り」でした。「酸っぱい」と答えたパン種は、実際に酸の量が多い傾向がありました。
ただし香りの感じ方は人によって大きくばらつき、訓練を受けていない人の評価であることから、著者らは慎重な解釈が必要だとしています。
参加者はなぜサワードウを焼くのか
この研究では、参加者がなぜサワードウでパンを焼くのかも尋ねています。
- 理由として多かったのは「味」(80%以上)や「焼くこと自体の楽しさ」(約70%)
- 「伝統だから」と答えた人は10%未満
- 84.2%が、サワードウのパンはイースト(市販の酵母)のパンより「健康的だ」と考えていた
- 健康面の利点として最も多く挙がったのは「お腹の調子」に関するものだった
国による違いもありました。スイスの参加者は環境への配慮を、ルーマニアの参加者は健康面の利点を多く挙げ、イタリアの参加者は健康を理由に挙げることが少なかったと報告されています。
ここで注意したいのは、これらはあくまで参加者の「思い」や「受け止め方」を集めた結果だという点です。サワードウのパンを食べた人の体の変化を測った研究ではありません。
著者らも論文の中で、サワードウと健康の関係については「引き続き科学的な検証が必要だ」と述べています。この研究は、そうした今後の研究の土台になるデータを集めたもの、という位置づけです。
この研究の限界
著者ら自身が、いくつかの限界を挙げています。
- 参加者の偏り:発酵に関心の高い人が自分から参加しているため、一般の人の姿とは違う可能性がある
- 言語の壁:研究拠点と同じ言語を話す国からの参加が多く、スペイン、ギリシャ、ポーランドなどからの参加は少なかった、あるいはなかった
- 家庭での測定の精度:家庭では試験紙でpH(酸性の度合い)を測ったため、研究室の値とずれがあった。研究室で測ったpHは平均で0.73低く、郵送中に発酵が進んだことも一因と考えられている
- 常温での郵送:冷蔵せずに送ったため、輸送中に発酵が進み、容器から漏れたものもあった
また、今回の論文はアンケートと簡単な測定の結果にとどまり、菌の種類や、パンの食感を細かく測る分析は含まれていません。
研究の資金について
論文によると、この研究はEUの研究助成「ホライズン・ヨーロッパ」(助成番号101060247)と、スイス教育研究革新庁(SERI)の支援を受けたHealthFermプロジェクトの一部として行われました。著者らは「競合する利益はない」と申告しています。
家庭で発酵を楽しむときに
この研究が教えてくれるのは、同じ「サワードウ」でも、育て方は人や地域によって驚くほど違うということです。継ぎ足しの頻度、温度、容器、粉の種類。小さな選択の積み重ねが、それぞれの家庭のパン種の個性になっているのかもしれません。
一方で、家庭での発酵には注意も必要です。
- 自家製のパン種は、条件によっては望まない菌やカビが増えることがあります。外観やにおいだけで安全性を判断できるとは限りません。迷ったら食べないでください。カビがつくる毒の中には熱に強いものが多く、パンに焼いても安全になるとは限りません
- 小麦・ライ麦などの穀物にアレルギーのある方や、医師から食事制限を受けている方は、サワードウであっても自己判断で食べないでください
- 「サワードウだから体にいい」とは、この研究からは言えません
ぬか床や味噌と同じように、パン種もまた、人の手と時間でつながれてきた発酵の文化です。研究者と市民が一緒に、その多様さを記録しようとする試みとして、今後の分析結果にも注目したいところです。
Toshiより
今回の記事を読み、私が最初に心を引かれたのは、ヨーロッパを中心とした多くの家庭からサワードウのパン種を集め、その違いを記録しようとした研究の進め方です。
小麦粉やライ麦粉と水から生まれたパン種が、それぞれの家庭で継ぎ足され、育てられている。その姿を思い浮かべると、日本のぬか床や味噌にも通じるものを感じます。
同じ材料から始めても、育てる人、置かれる場所、気温、手入れの頻度、使う粉などによって、少しずつ違いが生まれます。発酵とは、決められた作り方をただ繰り返すものではなく、日々の小さな判断と時間の積み重ねによって形づくられるものなのだと、あらためて思いました。
今回の研究では、家庭でパンを焼く人と、パン屋など仕事として焼く人との間に、パン種へ粉と水を継ぎ足す頻度や、発酵させる温度、使われる容器などの違いが見られました。
パン種に毎日のように継ぎ足すことの多いパン屋と、週に一度ほどの家庭とでは、パン種との付き合い方が異なるのは自然なことなのでしょう。この結果から私が感じたのは、どちらか一方が正しいということではなく、それぞれの生活に合った育て方があるということです。
国によって、パン種に使われる粉に違いが見られたことも興味深く感じました。ライ麦を好む地域、小麦を多く使う地域、何種類かの粉を混ぜる地域。それぞれの土地で手に入りやすい穀物や、昔から親しまれてきたパン、現在の暮らし方などが、材料の選び方にも表れているのかもしれません。
発酵食品について知ることは、菌や製法だけを学ぶことではありません。その土地の気候や農業、食事の習慣、そして人々の暮らしを知ることにもつながります。一つのパン種の中にも、その土地ならではの文化が息づいているように思います。
最も古いものとして、1865年にさかのぼるパン種が申告されたという話にも驚きました。
ただし、古いパン種だから必ず優れている、ということではないでしょう。私が心を動かされたのは、その年月の長さだけではありません。粉と水を継ぎ足しながら、絶やさないように守ってきた人たちがいたであろうことです。
発酵は、一度作ったら終わりではありません。様子を見て、手を加え、また次へつないでいく。その目立たない繰り返しによって、長い時間が生まれます。そこには、食べ物を大切にしながら次の世代へ受け渡していく、人の営みが表れているように感じます。
研究者だけですべてを決めず、一般の参加者から意見を聞き、質問票や説明書を改善した点にも注目しました。
専門的に正しい説明であっても、参加する人に伝わらなければ、協力を得ることは難しくなります。実際に使う人の声を聞き、専門用語を分かりやすく直したり、量の測り方を工夫したりしたことが、多くの人の参加につながったのでしょう。
一つの家庭のパン種だけでは分からなかったことも、多くの家庭から集めることで、共通点や違いが見えてきます。研究者と一般の人が一緒になり、まだ分からないことを少しずつ明らかにしていく。この「市民科学」という取り組みに、私は大きな可能性を感じました。
一方で、研究結果の受け止め方には注意も必要です。
参加者の多くがサワードウを健康的だと考えていたことと、実際に食べた人の体にどのような変化が起こるのかは、別の問題です。今回の研究は、人の健康への効果を調べたものではありません。
発酵食品という言葉には、体によさそうな印象があります。しかし、よい印象だけで結論を出さず、今回の研究で確かめられたことと、まだ分かっていないことを分けて考える姿勢が大切だと思います。
また、今回集められたパン種は、将来の研究に備えて冷凍保存されています。菌の種類などについては、これから詳しく調べられるとのことです。
今回の論文だけですべての答えが出たわけではありません。むしろ、多くの家庭からパン種を集め、今後の研究へつながる土台が作られた段階なのでしょう。これからどのような違いが明らかになるのか、続きを楽しみに待ちたいと思います。
家庭の小さな瓶の中で育てられてきたパン種が、国境を越えて研究者と市民を結び、それぞれの土地の食文化を見せてくれました。
今回の記事を通して、発酵とは単に食材が変化することではなく、人の手、時間、土地、そして日々の暮らしによって受け継がれていく文化なのだと、あらためて感じました。
出典 Meyer AR, Gettemans T, Tan JP, et al. “Rising together: exploring sourdough fermentation diversity through co-design in the HealthFerm citizen science initiative.” npj Science of Food (2026). DOI: 10.1038/s41538-026-00725-7
Toshi / 発酵と健康、走ることが好きな57歳
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