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世界の発酵食品の菌を「金庫」に残す|ベナン・ラオス・タイの伝統発酵食品157点の菌のデータを公開
この記事について この記事は、世界各地の伝統的な発酵食品と人の腸内細菌の「データを記録し、保存する」国際的な取り組みを紹介するものです。発酵食品が病気の予防・治療や健康の改善につながることを示すものではありません。また、医療上の助言でもありません。体調や持病、食事制限について気になることがある場合は、医師・管理栄養士などの専門家にご相談ください。本記事の画像はAIで生成したイメージであり、研究で使用された試料や特定の商品を撮影したものではありません。
種を守るための「種子の金庫」がある、という話を聞いたことがあるでしょうか。
北極圏のノルウェーには、世界中の作物の種を冷凍して保管する施設があります。災害や戦争で畑が失われても、種さえ残っていれば、また育て直すことができる。そんな考え方です。
今回紹介する計画は、このノルウェーの種子貯蔵庫に着想を得たものだと、計画の中心メンバーが2025年に学術誌『Nature Communications』で説明しています。
同じことを、目に見えない「菌」でやろうとしている人たちがいます。人の腸にすむ細菌や、伝統的な発酵食品の中にいる微生物を集め、冷凍して保管し、そのデータを世界中の研究者が使えるように公開する。その最初の成果をまとめた論文が、Nature系の査読付き学術誌『Scientific Data』に2026年9月29日付で公開されました。
「微生物の金庫」とは
この取り組みは「Microbiota Vault Initiative(マイクロバイオータ・ボールト・イニシアチブ)」と呼ばれています。直訳すると「微生物の集まりの金庫計画」です。
論文によると、この計画が心配しているのは次のようなことです。
- 暮らしの工業化が進むと、人の腸内細菌の顔ぶれも、伝統的な食のあり方も変わっていく
- 公開されている腸内細菌のデータは、豊かな工業国のものに偏っていて、アジア・アフリカ・中南米の人々のデータが少ない
- 伝統的な発酵食品にどんな微生物がいるのかは、まだあまり調べられておらず、これも失われるおそれがある
そこでこの計画では、各国の研究者が集めた試料を預かり、決まった手順で保管し、菌の遺伝子を読み取るところまで手伝っています。
研究を進めたのは、スイスのチューリッヒ大学とスイス連邦工科大学チューリッヒ校(ETH Zurich)、ローザンヌ大学を中心に、ブラジルのサンパウロ大学、ガーナのクワメ・エンクルマ科学技術大学、ベナンの国立農業大学、タイのマヒドン大学、ラオスの研究所、米国のラトガース大学などのチームです。
どんな発酵食品が集められたのか
今回の論文は、計画の「立ち上げ期」に集まった試料の報告です。
発酵食品は、ベナン・ラオス・タイの3か国から集められ、合わせて157点の菌のデータが読み取られました(ベナン60点、ラオス72点、タイ25点)。地元の市場の売り手や、小さな作り手の作業場から直接分けてもらったものです。
論文に挙げられている例を見ると、その多様さがわかります。
- ベナン(西アフリカ):トウモロコシ、ソルガム(モロコシ)、キャッサバ(芋の一種)を発酵させた生地やおかゆ状の食べ物、飲み物。アフリカイナゴマメという豆や、地元でとれた魚を発酵させた調味料
- ラオス:いろいろな魚醤(魚を発酵させた調味料)。大豆、からし菜、タケノコの発酵食品。牛の皮と一緒に発酵させたキャベツ。魚やカニ、生の豚肉を発酵させたもの
- タイ:魚の発酵食品、エビのペースト(発酵させた練り物)、豚肉の発酵食品。米や大豆を使った発酵食品。カニ、貝、タケノコ、ニンニク、マンゴーの漬け物など
日本の味噌やしょうゆ、ぬか漬けと同じように、それぞれの土地には、その土地の材料と気候に合わせた発酵の知恵があります。そうした食品の中の菌を、まとめて同じやり方で記録しようとしている点が、この計画の特徴です。
人の腸内細菌のデータも公開
発酵食品と並んで、人の便の試料も集められています。
- ブラジル、エチオピア、ガーナ、ラオスの4か国から、合わせて767点の便の試料の菌のデータが公開されました
- スイスからも360点の便が預けられましたが、提供した研究チームが読み取りを希望しなかったため、保管だけされています
便の試料は、それぞれの国で進められている研究の参加者から、倫理委員会の承認を受け、本人(子どもの場合は保護者)の書面による同意を得て集められたと説明されています。名前など個人を特定できる情報は集めておらず、採取場所の緯度・経度も、場所を特定されにくいように大まかな数字にしたとのことです。
試料は冷凍して保管、データは誰でも使える形に
集められた試料は、マイナス80℃で凍らせ、ドライアイスで冷やしたまま、スイスのチューリッヒ大学の保管拠点に送られました。
ここで大事なのは、試料の持ち主は、あくまで集めた各国の研究者だという点です。保管拠点は預かっているだけで、試料そのものは提供した研究者しか使えない決まりになっています。
一方で、菌の遺伝子を読み取ったデータは、欧州の公的なデータベースに登録され、世界中の研究者が使えるようになりました。ただし使うときは、もとの試料を集めた地元の研究者の名前を示すことが条件です。また、一部のデータは商用利用ができないなどの条件つきで公開されています。
また、生き物の資源を利用するときの国際的なルール(名古屋議定書)に沿って、利用で得られた利益を提供した国と分け合う手続きもとられていると、論文は説明しています。
国ごとに、菌の顔ぶれに違いが見られた
論文では、データ全体をざっと見渡す分析もしています。
その結果、人の腸内細菌でも、発酵食品の菌でも、国ごとにまとまりが見られたと報告されています。同じ国の中でも試料ごとのばらつきは大きかったとのことです。
ただし著者らは、これを「予備的な分析」と位置づけています。国の違いに見えるものには、食品の種類や材料、人の側の特徴などの違いが混ざっている可能性があり、それらを考えに入れた分析は今後の研究で行う必要がある、と述べています。
この研究でわかること、わからないこと
この論文は「データ記述論文」と呼ばれる種類のものです。データをどう集め、どう処理し、どこで公開したかを説明することが目的で、何かの効果を確かめた研究ではありません。
- 発酵食品の菌が、人の腸内細菌や健康にどう関わるかは、この研究では調べていません
- 菌の読み取りは、細菌の遺伝子の一部(16S rRNA)を使う方法です。この方法は主に細菌を調べるもので、カビや酵母は調べる対象になっていません
- 発酵食品の試料は3か国、便の試料は4か国からで、世界全体を代表するものではありません
つまり、「どの発酵食品が体によいか」を教えてくれる研究ではありません。将来、そうした問いを含むさまざまな研究に使ってもらうための「材料」を整え、世界に開いた、という段階の報告です。
研究の資金について
論文によると、この研究はMicrobiota Vault Initiativeの立ち上げ期を支える4つの財団(Oak財団、Seerave財団、ロックフェラー財団、Gebert Rüf財団)の資金で行われました。研究全体には、このほかチューリッヒ大学などからの支援もありました。国ごとの試料集めには、スイス国立科学財団(ラオス・スイス)、ブラジルのサンパウロ州研究財団(ブラジル)、スイスの開発協力機関とNutricia研究財団(エチオピア)、マヒドン大学とETH Zurichの共同研究ユニット(タイ)などの支援が使われたと記載されています。
著者の中には、資金を出した財団の一つ(Seerave財団)に所属する人も含まれています。著者らは「競合する利益はない」と申告しています。
発酵食品とのつきあい方を考える
この研究が伝えているのは、伝統的な発酵食品が、その土地の微生物と人の知恵が長い時間をかけて育ててきた食文化であり、記録しておく価値のある財産だという視点です。
一方で、気をつけたいこともあります。
- 研究で集められた食品の中には、生の豚肉や魚を発酵させたものも含まれています。この記事は、そうした食品を食べることをすすめるものではありません。日本では、豚肉や豚の内臓を生食用として販売・提供することが、食品衛生法に基づく規格基準により禁止されています。厚生労働省は、中心部まで十分に加熱して食べるよう注意を呼びかけています
- 海外では、生のものや加熱が不十分な肉・魚介類などによる食中毒が報告されています(厚生労働省検疫所「海外では生の食べ物・水にご注意ください!」)。発酵食品であっても安全が保証されるわけではありません。生または加熱が不十分な肉・魚介類を使ったものは避け、十分に加熱された食品を選んでください
- 魚醤や漬け物などには、塩分の多いものがあります。厚生労働省の「日本人の食事摂取基準(2025年版)」では、18歳以上の食塩の目標量を、1日あたり男性7.5g未満、女性6.5g未満としています。日本の味噌やしょうゆ、漬け物と同じように、量には気を配りたいところです
世界の発酵食品の菌が、冷凍庫の中とデータベースの中で、次の世代へ受け渡されていく。それがどんな発見につながるのかは、まだこれからの話です。今後の研究の進み方に、注目していきたいと思います。
Toshiより
世界中の菌を「金庫」に残す。
最初にこの言葉を読んだとき、私は少し不思議な気持ちになりました。金庫に入れて守るものといえば、お金や宝石、大切な書類を思い浮かべます。けれど今回守ろうとしているのは、目には見えず、名前さえまだ分からないものも多い微生物です。
しかも、それは研究室でつくられた特別な菌ではありません。市場で売られている発酵食品や、小さな作り手が受け継いできた食品、人の腸内に暮らしている菌です。普段は価値を意識されにくいものを、失われる前に記録し、保存しておこうという発想に、私は大きな意味を感じました。
種子を保存する金庫なら、守る理由を想像しやすいと思います。ある作物が災害や病気で失われても、種が残っていれば、もう一度育てられるかもしれません。
菌の場合は、それよりも少し複雑です。
一つの発酵食品の中には、多くの菌が集まり、互いに影響しながら暮らしています。材料、気温、水、塩分、容器、作り手の手順などによって、菌の顔ぶれも変わります。菌だけを一種類取り出して保存しても、もとの味や香りを、そのまま再現できるとは限りません。
それでも、試料と遺伝子の情報を残しておけば、将来の研究者が、いまは思いつかない問いを調べられる可能性があります。何に役立つかが、まだ分からないからこそ、失われる前に残す。その考え方は、とても大切だと思います。
今回解析された発酵食品は、ベナン、ラオス、タイの3か国から157点。人の便のデータは、ブラジル、エチオピア、ガーナ、ラオスの4か国から767点です。
数字だけを見れば、世界全体の発酵食品や腸内細菌を語れる規模ではありません。しかし、これまでデータが少なかった地域から、決められた手順に沿って集め、同じ方法で保存・解析し、研究に使える形にしたことに意味があります。
科学のデータは、集めやすい場所に偏りがちです。設備や研究費の多い国の情報ばかりが蓄積されれば、それが世界の標準であるように見えてしまいます。しかし、人の暮らしも食事も、地域によって大きく異なります。限られた地域のデータだけで、人類全体を説明することはできません。
だからこそ、ベナンの穀物の発酵食品や、ラオスの魚醤、タイのエビのペーストなどを記録することには価値があります。それぞれの土地で長く食べ継がれてきた食品は、単なる研究材料ではありません。気候や農作物、保存の知恵、好まれてきた味が重なった食文化そのものです。
ここで忘れてはいけないのは、その文化や試料が、誰のものなのかという点です。
今回の仕組みでは、保存された試料の権利は、それを集めた各国の研究者側に残ります。保管拠点が自由に使えるわけではありません。データを使う場合も、もとの試料を集めた地域の研究者を明示し、選ばれた利用条件に従うことが求められます。
遠い国の珍しい菌を持ち帰り、研究する側だけが利益を得る。そんな関係にならないようにする考え方が、最初から組み込まれていることに安心しました。
菌の保存は、冷凍庫の技術だけでは成り立ちません。地域の人たちとの信頼、同意、試料の権利、研究成果や利益の分かち方まで含めて、初めて長く続く取り組みになるのだと思います。
発酵食品に関心を持つ私としては、この研究を日本の食文化とも重ねて考えました。
日本にも、味噌、しょうゆ、日本酒、酢、納豆、ぬか漬けなど、数多くの発酵食品があります。同じ味噌でも、使う麹や豆、塩、熟成期間が違えば、味も香りも変わります。蔵の壁や木桶に住みついた「蔵付き」の菌が、地域や店ごとの個性に関わっているともいわれます。
ところが、小さな蔵が閉じたり、昔ながらの作り方が使われなくなったりすれば、そこにいた菌の組み合わせも失われるかもしれません。一度いなくなった菌の集まりを、あとから同じ姿で戻すことは簡単ではないでしょう。
食品の製造を安定させることは大切です。いつ買っても同じ品質で、安全に食べられることは、現代の食品づくりに欠かせません。その一方で、すべてが同じ菌、同じ材料、同じ味へそろっていけば、土地ごとの違いが少しずつ消えていく可能性もあります。
安定した製造と、地域の多様さを残すこと。その両方をどう守るかは、これからの発酵文化にとって大きな課題なのだと思います。
ただし、この論文は、どの発酵食品が健康によいかを調べたものではありません。
菌のデータが保存されたことと、その菌を食べることに健康効果があることは、まったく別の話です。「珍しい菌が入っている」「昔から食べられている」という理由だけで、安全性や体への働きが保証されるわけでもありません。
研究対象には、生の豚肉を使ったものや、魚介類を発酵させた食品も含まれています。発酵しているから安全とは限りません。地域ごとの製法や食習慣を尊重することと、私たちが同じものを口にすることは分けて考える必要があります。
私は、世界の発酵食品を知ることは好きですが、珍しさだけで食べ物を選ばないようにしたいと思います。生や加熱が不十分な肉・魚介類は避け、衛生面と加熱の状態を確認する。その慎重さも、異なる食文化と向き合うための礼儀の一つではないでしょうか。
この研究の価値は、すぐに役立つ健康法を教えてくれることではありません。
まだ意味が十分に分かっていないものを、将来のために残したことにあります。今は分析できない情報も、技術が進めば読み取れるようになるかもしれません。現在は名前しか分からない菌が、何十年後かに発酵の仕組みを理解する鍵になる可能性もあります。
私は57歳になり、発酵について学びながら、走ることも続けています。走っていると、同じ道でも季節によって草木や空気のにおいが変わることに気づきます。大きな景色は同じに見えても、その中身は少しずつ動いています。
発酵食品の菌も、同じなのかもしれません。
一つの壺、一つの市場、一つの村に、その場所でしか出会えない微生物の組み合わせがある。目には見えなくても、それは土地の風景の一部です。失われてから価値に気づくのではなく、今のうちに記録し、次の世代へ渡していく。Microbiota Vault Initiativeは、そのための静かな準備なのだと思います。
金庫に保存される菌が、将来どんな研究につながるのかは、まだ分かりません。役に立つ菌が見つかるかもしれませんし、すぐには用途が見つからないかもしれません。
それでも、役立つものだけを選んで残すのではなく、多様さそのものを残す姿勢に、私は共感します。
発酵文化は、完成したレシピだけで受け継がれるものではありません。材料、道具、気候、作り手の経験、そしてそこに暮らす菌がそろって、初めて次の世代へ渡っていきます。
世界の小さな発酵食品から集められた菌が、冷凍庫とデータベースの中で未来を待っている。その姿を想像すると、いつもの味噌やぬか床も、少し違って見えてきます。
食べるだけでなく、どこで、誰が、どのように受け継いできたのかにも目を向ける。それが、発酵文化を大切にすることにつながるのだと思います。
私たちの食卓の身近な一品も、未来に残す価値のある、かけがえのない食文化の一部なのだと思います。
出典 Lavrinienko A, Benvenga V, Albertos Torres D, et al. “A standardized collection of human stool and fermented food microbiomes from the Launch Phase of the Microbiota Vault Initiative.” Scientific Data (2026). DOI: 10.1038/s41597-026-08388-5
Dominguez-Bello MG, Steiger D, Fankhauser M, et al. “The Microbiota Vault Initiative: safeguarding Earth’s microbial heritage for future generations.” Nature Communications 16, 5373 (2025). DOI: 10.1038/s41467-025-61008-5
Toshi / 発酵と健康、走ることが好きな57歳
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